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平成の怪物・松坂大輔「ノーヒットノーラン」決勝では史上2度目…[記録の記憶] - 読売新聞オンライン

 1998年の決勝で、横浜(東神奈川)のエース松坂大輔(元西武など)が、京都成章(京都)を相手に、ノーヒットノーランを達成した。決勝では2度目の快挙。横浜は選抜に続く甲子園春夏連覇を達成した。松坂は決勝まで全6試合に登板して優勝の立役者となり、「平成の怪物」と呼ばれた。

 京都成章の4番捕手として出場した決勝は夢見心地で、記憶が曖昧なんです。松坂のスライダーはすごく曲がるなと驚いたことは覚えています。1球投げるたびに地鳴りみたいな歓声がして、球場全体が「松坂伝説」への期待に包まれていました。

 同じ高校生でも、松坂擁する横浜は別格で全球児の目標でした。PL学園(南大阪)や明徳義塾(高知)など強豪を倒すたび、注目されて。そんなスター軍団と戦う実感がなかった。

 夏は甲子園1勝が目標でした。横浜が優勝した春の選抜、初戦で大敗したのが悔しくて恥ずかしかった。その屈辱をバネに「夏こそ甲子園で勝つ」と本気で練習しました。でも、まさか決勝まで行けるとは。完敗でしたが、全国で2校しか戦えない最高の舞台で、最高の投手に挑んだ結果を誇りに思います。

 決勝後、プロで松坂を打つことを目標に大学、社会人と野球を続け、2006年に西武に入団。ここまで本気で野球ができたのは、世代の先頭を走る松坂を追い続けたから。松坂が引退した日、「ありがとう」と伝えたら、「オレを有名にしてくれて、ありがとね」っていたずらっぽく笑っていました。本気で頑張れば目標は達成できると教えてくれたあの決勝は、神様がくれたプレゼントですね。(聞き手・永井順子)

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